歴史文化を知る

江戸時代の宿場の風情を感じる。

石畳の坂道に肩を寄せ合うように並ぶ家並み。それが中山道の宿場町です。
中津川の歴史や文化、隠れた魅力の発見を楽しむ街道観光は岐阜県の誇るべき観光資源であるとして、平成25年2月に「岐阜の宝もの」に認定されました。

中山道

江戸時代、五街道のひとつで京と江戸を結んだ中山道は
参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用されました。
全長135里32丁(約534km)に69もの宿場が置かれました。そのうちの17宿、126.5kmが
岐阜県の美濃地方を東西に横断しており、今も往時の面影を色濃く残しています。

POINT01Point01中山道 中津川宿

かつて東濃随一
栄えた商業の街

奈良、平安時代の昔から東山道の要衝にあり、江戸時代に整備された中山道の中でも特に賑わった宿場のひとつ。全長1,100m、旅籠屋は大小29軒あったとか。幕末に尊王攘夷を唱えて戦った天狗党水戸浪士の墓や、桂小五郎(木戸考充)の隠れ家跡が今も残り、薩長の密談・中津川会議が行われるなど、江戸から明治へと変わる激動の時代のカギをにぎった宿場でもありました。

POINT02Point02中山道 落合宿

美濃中山道で唯一
当時の面影を残す本陣

落合宿本陣は、代々井口家が勤め、問屋と庄屋も兼ねており、大名、公家、幕氏など、貴人の宿泊する旅館であった。余裕があれば一般の旅人も泊めました。
平成22年2月、国史跡中山道の一部として追加指定を受けました。落合宿は、文化元年(1804)と文化12年(1815)の二度にわたって大火に見舞われ、その際、本陣も消失しました。 伝承によれば、現在の本陣が建てられたのは、文化15年(1818)のことだとされています。「大概帳」には、「門構え玄関付きで建坪132坪中町にある。」とあり、門については加賀藩主前田候から寄贈されたとの言い伝えもあります。 明治14年(1881)には大規模な改修が行われ、板葺き平屋建てが瓦葺一部二階建てとなりました。この時、南側の居室部分は改築されましたが、北側に元あった屋敷の座敷部分は現在も残されています。

一般公開

  • 公開日時:3月から11月までの日曜と祝日 9時から16時まで
  • 予約について:10名以上であれば、平日でもご予約可能
  • 入館料:無料(ボランティアが案内します)
  • 駐車場:自家用車3台(バスの場合はお問い合わせください)

お問い合わせ

  • 中津川市役所落合事務所:0573-69-3201
  • 中津川観光協会:0573-66-5544

落合の石畳

江戸時代の石畳は、明治に入って荷車などの交通手段の進歩により、不都合になってきたので大部分が取り除かれてしまいました。
長年木の葉や土砂に埋まっていた石畳を掘り起こし、昔のように石を敷き詰めて整備し、平成6年(1994)840mを完全に再現しました。 このうち当時のままの石畳は三箇所あり、これを含めた70.8mは昭和39年岐阜県史跡に指定されました。
石畳は、急坂を越える旅人の便を図って造られたもので、同時に坂を大雨から守る役割も果たしています。
現存する石畳は、「落合の石畳」と「中山道大鍬の琵琶峠」、「東海動箱根」三箇所と共に貴重な遺産です。

POINT03Point03中山道 馬籠宿

石畳と坂の宿場
馬籠を歩く

江戸日本橋を起点に四十三番目の宿場 馬籠。木曽十一宿の最南端、美濃側の入口として栄え、狭い中山道の両側に軒を連ねる集落は、江戸時代の面影を今に残します。馬込は急峻な坂の宿場です。
大雨から守るために敷かれた石畳や、宿場に敵の侵入を防ぐため街道を鉤の手に曲げた「桝形」などが、当時の雰囲気を漂わせています。

POINT04Point04地歌舞伎

受け継がれる伝統芸能
地元に根付く地歌舞伎

地歌舞伎とは、地元の役者によって演じられる、地元に根付いた歌舞伎。中津川では毎年9月から3月までの間各地で定期公演が行われます。
全国で300程あるといわれている地歌舞伎保存会のうち30の保存会が岐阜県にあり、特に地歌舞伎が盛んな東濃地方ではその半数を占める15の地元の歌舞伎保存会が、今もなお活動しています。

芝居小屋

中津川市内には4つの芝居小屋があります。地元の人たちが芝居を行い、集う場所になっています。
中津川にある芝居小屋のうち「常盤座」、「かしも明治座」では、公演などがない期間、普段見ることができない裏舞台を特別に見学することができます。(有料・要予約)